ロサンゼルスを拠点に活動する華道家、フラワーデザイナー。植物素材の持つ線に着目した表現を追求している。
1990 | 草月流入門。塚本草昌に師事。 |
1995 | 草月流4級師範取得。(雅号:萌昌) |
1996 | 大手フローリストに入社。 ホテル・ショップ勤務を経験し、ウェディングやパーティ、レストランへの装花、販売、商品企画、アレンジメントやブーケの制作等に携わる。 |
2000 | 3年間のフラワーアレンジメント教室講師を経て、東京にて自身のフラワーアレンジメント教室を主宰する。 |
2005 | 第87回草月展新人賞受賞。 |
2007 | 草月流一級師範常任総務取得。 |
2008 | 第7回草月AT賞受賞。 ニューヨークに拠点を移す。 |
2011 | ロサンゼルスに転居。 |
なぜ花をいけるのか
1994年の夏。ヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションを訪れた私は、A.カルダーのモビールに出会いました。当時、美術史を専攻する学生ではありましたが、カルダーの名も、モビールと名づけられた彼の作品の存在も知りませんでした。旅先で何の気なしに足を運んだ美術館の、運河沿いのテラスに面して大きな窓を開いたホール。自然光の降りそそぐ明るいその部屋に悠然と吊り下げられたモビールは、私の目と心を釘付けにしました。テラスに出て運河に反射する八月の日差しを浴びる人々の動きと、窓からの少し湿った風で、モビールは一瞬も同じ姿を留めようとはせず、そしてどの瞬間も心を揺さぶる姿を見せ続けていました。自分の身体までがモビールの一部となって動き続けているかのような不思議な感覚の中で、「この人はきっと、私と同じように植物の力に魅了されているんだ、生命の力に突き動かされて、それを目に見える形に置き換えたんだ」と感じていました。
私が草月流に入門して4年近く経っていたでしょうか。まだカリキュラムを勉強していましたが、絵を描いたり、粘土をこねても感じることのできない何かが、花をいけるときだけ現れることを、うっすらと感じ始めた頃でした。それは、ある意味完成された植物素材の加工ともいえる行為が、却ってストレートに自分を表現する手段になりそうだという予感でもありました。幼い頃から木や花を見つめることの好きな子供でしたが、いけばなを始めてからは、いけているその一枝や一枚の葉や花びらの美しさに何度もため息をつく思いを味わうようになっていました。こうした植物の力を損なうことなく、その力による自分の心の動きを何とか形にしたい、と漠然と感じはじめた矢先、カルダーのモビールに出会ったのです。私にとってそれは、ひとつの答えのようでもあり、また新しい問題のようでもありました。
その後私は、カルダーをたずねて彼の多くの作品を目にすることとなり、その表現が「植物」だけにはとどまらない「生命」そのものの動き、「宇宙」「自然」をも内包する根源的な生命の力を表すものだと感じるようになりました。それに呼応して、自分が花をいけるという行為は、植物を媒介にして生命を感じ、指先から伝わるその力に突き動かされて、またその力を借りて、今生きて動いている自分の心を形にしようとすることかな、と思うようになりました。植物は一時も動きを止めず、だからこそいけばなは時間から自由になることはできません。その瞬間の素材との出会いの中で、その瞬間の自分の心を形にしてみたい、そんな気持ちはカルダーと出会ったあの頃より強い衝動となって私を捉え続けています。
2005年の春、私はヴェネツィアのカルダーの元を再訪しました。あの時と変わらず私を迎えてくれたホールに立つと、あの夏の私がそこでモビールを見つめ続けているように感じ、過去の自分に問いかけられているような気がしました。ずっと花をいけ続けてきたけれど、カルダーのように軽快で率直に生命の力を感じさせる作品をいけることが一度でもできただろうか、と。今はまだ、その問いに胸をはって答えることはできません。でも、心を動かす生命の力を感じること、それを誰かに伝えられるように形にすることが「花をいける」意味だとしたら、明快な答えのない自分の心を追いかけ続けることが、私なりの答えのように思います。
財団法人草月会 草月グリーンプロジェクト「あなたはなぜ花をいけるのですか」2008年10月 より転載